新撰組の局長である近藤勇は、名刀である虎徹を使っていたと聞いたことがあるかもしれません。虎徹に関しては近藤自身も誇りを持っていて、有名な池田屋騒動のときにも持っていったと言います。池田屋騒動後、近藤は養父である近藤周斎に手紙を書きますが、「沖田総司や永倉新八の刀は折れたり刃こぼれをしたりしたが、自分の刀は虎徹であったために折れも欠けもせずに無事だった」という自慢まで挟んでいたようです。壬生の八木家の息子、為三郎老の回顧談によると、「(近藤は)刀の話が好きだったと見え、私の父と話している時は、大てい刀か槍の話でした」と語っています。近藤が本当に刀剣好きだったことが分かるエピソードです。養父への手紙にまで記していた近藤の自慢の虎徹ですが、実は未だに真贋の決着がついていません。隊士であった斎藤一が京の夜店で買った刀を、無銘ながら惚れ込んだ近藤が頼んで譲り受けたという説や、実際は源清麿という刀でありながら虎徹の名を刻んで騙して近藤に売りつけたという説、本当に虎徹であったという説などさまざまです。特に新撰組に関しては創作の話も多いために、物語性のある嘘の話も多く伝わってしまったと言われています。しかし、専門家の「虎徹の刀でありながら無銘であることは、ありえないのではないか」という説が有力になっているそうです。つまり、この虎徹は偽物であったのではないかという考えです。とは言え近藤勇は自分の刀を虎徹と信じたまま亡くなりました。実際に池田屋に斬り込んでいき、激戦を経ても近藤の刀は折れも曲がりもせずに、スムーズに鞘に収まったと言います。この刀を持って無事に生き残れたので、近藤にとってはどちらでも良かったのかもしれません。 |